1 名前:砂漠のマスカレード ★:2019/10/02(水) 07:11:20.70 ID:+ngwRUkB9.net
西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(41)

【司令塔】西武・伊東勤 前編

(前回の記事はこちら>>)

四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、黄金時代を迎えていた西武ライオンズと、
ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。
両チームの当事者たちに話を聞く連載21人目。

第12回のテーマは「司令塔」。「森と野村の代理戦争」と称された西武・伊東勤、ヤクルト・古田敦也のインタビューを連続でお届けしよう。

【「そもそも、負けるという感覚がありませんから」】

――ライオンズとスワローズが激突した1992(平成4)年と、翌1993年の日本シリーズについて、両チームの方々にお話を伺っています。

伊東 ヤクルトとは2年続けて戦ったけど、苦しみながらも最後に勝った1992年のほうがよく覚えていますね。あの頃の西武は「リーグ優勝だけではなく、日本一も当然」という雰囲気だったので、
シーズンが始まる前は「日本一になる」ということしか頭になかったです。

――この連載でも、石毛宏典さんは「ペナントレース130試合だけじゃなくて、その後の日本シリーズ7試合を含めて、オレたちは年間137試合戦うという体内時計だった」とおっしゃっていました。

伊東 まさに、石毛さんの言われた通りです。あくまでも、「日本一になる」ことが最終目標で、ペナントレースはその過程に過ぎない。
途中でコケるなんてことはまったく考えずに、キャンプの段階から「どうやって日本シリーズを戦うか」を意識していましたから。
実際にペナントレースにおいても、「ここが勝負だ」とか、「この3連戦が天王山だ」という試合では、必ず勝っていたというイメージがあります。そもそも、「負ける」という感覚がありませんでしたね。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191002-00873070-sportiva-base
10/2(水) 7:00配信

https://www.youtube.com/watch?v=tp6Ur5wXd3Y&t=395s
伊東 サヨナラヒット 中日-西武 シリーズ


引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1569967880
2 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:18:56.52 ID:CYAw0lRg0.net

禿げてるくせに


3 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:19:25.64 ID:iCLgFEf30.net

懐かしいですね


4 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:22:30.98 ID:wNOFTIbf0.net

一方ノムさんは伊東よりも森監督を意識していた


5 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:23:50.84 ID:pqSVJft8O.net

イトキンてどっかで聞いたことあるよね



16 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:00:02.68 ID:y6y5JRen0.net

>>5
僕といっしょ



6 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:28:05.14 ID:phtBK3nU0.net

はやく古田を監督にしろよ。



30 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 09:31:50.34 ID:Da+eK5gG0.net

>>6
古田の乱を知らんのか?
「アンタが大将なんだから!」



7 名前:砂漠のマスカレード ★:2019/10/02(水) 07:30:40.20 ID:+ngwRUkB9.net

――1990年は巨人をスイープ(4連勝)し、1991年は4勝3敗で広島も撃破。そして迎えた1992年、相手は14年ぶりにセ・リーグを制覇したスワローズでした。
スワローズに対しては、どんなイメージを抱いていましたか?

伊東 選手どうこうというよりも、野村(克也)さんのイメージが強かったですね。うちの(森祇晶)監督と野村さんの戦いでもあった気がします。
シリーズ前にはもちろんヤクルト対策をするんですけど、正直に言えば、そこまで脅威を感じた記憶はないです。
もちろん、「セ・リーグを勝ち抜いてきたチームだ」というのは理解しているけど、「強い」とか「弱い」とか、そういう印象はないんですよ。

――この連載において、ライオンズ・伊原春樹コーチは「ハッキリ言って、ヤクルトをなめていた」と語っていました。伊東さんはいかがでしたか?

伊東 伊原さんが言われるように、油断というか、気の緩みというか、戦前には「そこまでやれるチームではないだろう」という思いはあったと思います。
巨人とは違って、ヤクルトというチームに対する意識は低かったと思うし、さっきも言いましたけど、「対選手」というよりは、「対野村監督」という意識のほうが強かったですね。

【プロ入り後、「自分の個性を消そう」と決めた】

―― 一方では、スワローズ・古田敦也選手と伊東さんはキャッチャーとして常に比較され、
「森と野村の代理戦争」というフレーズも多かったですが、古田さんに対する意識は強かったのですか?

伊東 いいえ、その点は冷静でした。別に古田と戦うわけではないですから。当時プロ3年目の古田に対して、「眼中にない」とは言わないけど、それほど意識はしていませんでした。
あくまでも、「対古田」ではなく、「対ヤクルト」という意識だったと思います。 ――野村克也さんは「古田と伊東は性格が全然違う」と話していました。
簡単に言えば古田さんは「自分が前面に出るタイプ」で、伊東さんは「投手主体で自分の個性を消すタイプ」ということでしたが、この点についてはどうお考えですか?

伊東 なるほど。たぶん、それは自分が置かれたチーム環境の影響だと思います。
西武はずっと勝ち続けていて、勝利を宿命づけられたチームだった。
連覇を続けるためにはキャッチャーが前に出るタイプだと難しいと思うんです。
でも、ヤクルトのように、何年も低迷していた中で優勝するには、ある程度キャッチャーがぐいぐい引っ張っていかなければならない。その違いだと思いますね。

――それは持って生まれた性格も影響するのでしょうか? 伊東さんはもともと、「自分の個性を消そう」というタイプだったのでしょうか?

伊東 違いましたね。やっぱり、「自分が目立とう」という気持ちは少しぐらいありましたよ。
でも、キャッチャーという職業になって、「人の裏を探ろう」とか、「相手のクセを探そう」とばかり考えていたら、表に出ない性格に変わっていきました。
それは、自分がこの世界で生きるために必要なことだったからです。
自分本位ではなく、チームや投手のことを中心に考えていたら、自然とそうなったという感じです。


8 名前:砂漠のマスカレード ★:2019/10/02(水) 07:31:26.38 ID:+ngwRUkB9.net

【「1992年の石井丈裕は、すべてが完璧だった」】

――当時のライオンズには、工藤公康、渡辺久信、郭泰源、石井丈裕投手など、一流投手がそろっていましたが、伊東さんは当時のエースは誰だとお考えですか?

伊東 当時もそうでしたけど、今でも僕は「郭泰源がエースだ」と思っています。
今までいろいろなピッチャーを見てきましたけど、すべてにおいて間違いなく彼がナンバーワンでした。

――日本シリーズにおいて、「第2戦はエースに託す」と話していた森監督が、1992年も1993年も郭泰源投手に第2戦を任せたのは、当然のことだったのでしょうか?

伊東 確かに、あの当時はピッチングスタッフがそろっていたので、誰が投げてもいい状況だったけど、2戦目に郭泰源だったのも当然かもしれないですね。
森さんは、シーズンが始まった時から終わるまで、ずっと逆算して物事を考える人なんです。
そして、ローテーションの谷間ができても、そこでは決して無理をしないんですよ。
ローテーションを崩してまで勝ちにいくのではなく、その先のことを考えてあえて動かない。
それができる監督でしたね。

――1992年の日本シリーズは3勝3敗で第7戦を迎えます。
ここまでの戦いを通じてスワローズに対する意識の変化は芽生えていましたか?

伊東 それでも、やっぱり「負ける」っていう感覚はなかったです。
初戦に杉浦(享)さんの代打サヨナラホームランを打たれた時に、「ヤクルトに流れがあるな」とは思いましたけど、
第2戦で郭泰源がすぐに流れを取り戻したので、「やっぱり、今年も勝てるな」という思いはあった気がしますね。

――この年のシリーズ第7戦は屈指の名勝負となりました。この日のライオンズ先発は石井丈裕投手でした。

伊東 この年だけだったら、郭泰源よりも、石井タケのほうがよかったかもしれません。
当時は「真っスラ」って言っていましたけど、今でいうカットボールが抜群でした。
バッターが「真っ直ぐだろう」と振りにいくと、手元で曲がってバットの芯を外される。
郭泰源も、石井タケも、このボールが抜群だったし、コントロールもよかった。
さらに、石井タケにはパームボールもありましたからね。「三振がほしい」という場面ではパームでした。
(ジャック・)ハウエルなんか、まったく合っていなかったですからね。



14 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:44:11.95 ID:0R/rad+F0.net

>>8
あの頃の郭泰源は確かに凄かった
肘の怪我を除いては
落合があれは打てんと言ってたくらい



9 名前:砂漠のマスカレード ★:2019/10/02(水) 07:31:52.91 ID:+ngwRUkB9.net

――その第7戦ですが、スワローズ先発の岡林洋一投手も絶好調で1-1のまま、試合は7回裏に差しかかります。
ワンアウト満塁の場面で打席に立ったのは、初戦で殊勲の代打サヨナラ満塁弾を放った杉浦選手でした。

伊東 場面はワンアウトでしたから、「できればゴロでゲッツーに」という思いはありましたけど、「犠牲フライでも仕方ない」ぐらいの気持ちでいたと思います。
内野の守備は中間守備。バックホームも、セカンドでのダブルプレーも狙える陣形です。

――ここで杉浦さんの打球は、バットが折れた緩いセカンドゴロになりました。
セカンドの辻発彦選手が半身で捕って、回転したまま伊東さん目がけてバックホーム。
この場面を振り返っていただけますか?

伊東 緩い当たりだったので、ダブルプレーは難しいけど「ホームでひとつはアウトを捕れるだろう」と考えました。
ただ、辻さんの捕球態勢が難しい態勢だったので、「まともなボールはこないかもしれない」と考えたと思います。

――実際に辻さんの送球は高めに浮き、伊東さんはジャンプを余儀なくされました。

伊東 確かにジャンプをして捕球していますけど、僕の中では、「ギリギリまで左足をホームベースにつけておこう」という思いはありました。
後で写真を見てもらえればわかると思うけど、ジャンプしている時の僕の左足は、必死にベースに触れようとしています。
満塁なのでタッチプレーではない。フォースプレーですから、「とにかくベースに触れてさえいればいい」。
その思いで、必死に左足を伸ばしているんです。

(後編に続く)


10 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:37:44.44 ID:3anK5CMd0.net

爺さん


11 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:37:58.52 ID:3anK5CMd0.net

好き


12 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:38:24.53 ID:VudvafmL0.net

こういう選手の回顧録見て思うけどよく細かいことまで覚えてんなー



23 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:35:19.00 ID:+2Yp35gj0.net

>>12
ほんとそう思うわ



27 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:52:51.12 ID:6QArECbq0.net

>>12
細かいことは忘れていても、映像観るとパッと思い出すんだよ。



13 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:39:12.71 ID:3anK5CMd0.net

いいね


15 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 07:54:29.96 ID:6Ct4sCph0.net

西武xヤクルト戦は頭脳戦だったからな
データ分析を徹底してやってたんだよ両チーム


17 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:01:10.57 ID:j5w/RjSe0.net

当時の西武はほんとにチームとして面白かった。役割分担が素晴らしかったなあ


18 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:05:51.56 ID:sOmenpS30.net

森≧長嶋≫野村


19 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:09:09.00 ID:G9zZjB3s0.net

伊東さん、また肥えたなーw


20 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:17:36.13 ID:0+3oqE7R0.net

最高の日本シリーズ


21 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:21:04.84 ID:wlNiO2Ar0.net

結構怖いんだってなこの人


22 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:31:59.94 ID:dc4+TuiM0.net

いつも怒ってるイメージ
古田とは全然違う


24 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:36:32.29 ID:MB7z5EgV0.net

清原による西武メンバーの印象

辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々買ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある。



25 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 08:41:58.29 ID:+2Yp35gj0.net

>>24
こうしてみたら清原も厳しい先輩達に囲まれていたんだな。
森監督が甘やかしてしまったのか?



28 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 09:07:12.81 ID:p4t65rST0.net

>>24
森と伊原とのギャップに草



29 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 09:15:02.72 ID:vPuuFsQ70.net

本当に意識してたのは
平原と武田のラインからの


31 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 09:57:43.77 ID:cjVsvZeb0.net

伊藤智が残念て仕方ない


32 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 10:03:17.64 ID:ZBvZxrzO0.net

世界の美意識はこんなに違った。「写真の女性をPhotoshopで美しくしてください」と世界18か国のデザイナーに言うとこうなる
こんなにも違う!?
http://www.wo.brinzart.com/ew/mck.html


33 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 10:20:29.89 ID:SbcFtb4I0.net

V9時代は知らんし
森西武が今まで見てきたなかで最も完成されたチームだったな
小木がベタ惚れするのもわかる


34 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 10:20:53.41 ID:8rXPdp820.net

なんだこの
我国民政府を相手にせず
みたいなスレタイは


35 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 10:39:53.34 ID:x7XtLx6s0.net

若い頃は超イケメンだった人

伊東勤
渡辺久信


36 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 10:41:20.97 ID:sTxmlb5G0.net

古田は西の球受けてりゃいいんだよ!


37 名前:名無しさん@恐縮です:2019/10/02(水) 10:43:49.61 ID:e29JgPKO0.net

ホモだけど今の伊東さん超タイプ